お便り

元気にしていますか。夏が終わってしまいますね。まあ、夏は嫌いだからいいんですけど、ただ、こうやって少しずつ人生において経験することのできる夏が減っていくのだと思うと悲しくなります。風邪などひいていませんか。わたしはこの前胃腸炎になって辛い思いをしましたが、今は元気です。

最近あった一番嬉しかった出来事を教えてほしいです。楽しかったことでもいいよ。わたしは行こうと思っていたイベントに偶然友達が同じ日程で行こうとしていたことを、これまた偶然に知ることができたことです。なんだか嬉しかったし、一緒に行くことになったイベントも楽しかった。ちょっとした運命みたいなのを重ねて生きていけたら幸せですね。

悲しかったことは、こちらが一方的に知っていて好きだと思っている人が傷ついていたことかな。なにかできるわけでもなく、手放しにその人の肩だけをもつことができるわけでもなく。

悲しいことは少ないほうがいいね、当たり前だけど。

また、会いにいきますね。元気でいてください。

平行線

きみとわたしの永久に交わらない平行線のあいだにだけ世界があって、わたしたちは互いにその世界を対岸から覗いてる。わたしたちが関わり合うのは一歩踏み出して世界に降り立ったときだけで、だけどわたしたちふたりとも自分の岸辺へ互いを引き上げることはしない。そんな原風景にもだんだん靄がかかってきて、充電残り2パーセントではなにかを伝えるようなことは書き上げられないままだった。

あの子のケータイ

借りてきたちょっとだけ昔の映画の主人公が使っていたケータイが、昔、わたしの友達が使っていたケータイだった。確かわたしがその子に出会った頃に使っていたはず。白い二つ折りの、端っこに液晶がついていて、メール受信中とか出るやつ。あの頃のケータイはスマホが少しだけ普及し始めた頃で、薄くて手のひらにすっぽり収まるかわいいサイズ。ガラケーのデザイン選び放題最後の時代だったな、今思えば。スマホになってからはこのケータイあの子と一緒だ、みたいな感覚なくなったね。おそろいのケータイ、みたいなね。

 

iPhoneか、そうでないか、それだけ。

(わたしはiPhone)

夏休みの宿題は終わらない

スイカ割りしたことないな  海は塩水が沁みて痛いから行かない  プールだって行かないけれど  子供の頃いとこと毎年行った遊園地はなくなってしまった  日焼け止めと日傘が手放せなくなったのはいつからかな   着たいと言いながら毎年着ない浴衣  花火大会は帰り道の混雑さえなければなあ  手持ちの花火を最後にやったのはいつのこと  西日のきつい部屋  クーラーから少しだけ避難してみたり  学校のプール開放から帰ってくる小学生たち  すれ違う塩素と汗のにおい  そうめんとチャーハンばかりを繰り返す昼ごはん  銭湯の脱衣場と錯覚する夕方  すぐ軽い熱中症になる自分の体  外の眩しさにときどき目をやりながら予備校の机にへばりついたあの年  昼寝はアイスノンを抱きながら  頭を押さえながら食べるかき氷  いつからか帰省は毎年ではなくなった  粘土でつくった貯金箱  絵日記をまとめて書くと天気がわからない  始業式前日の不安  終わらせられなかった宿題を大人になっても繰り返す

夏の正しい過ごし方

夏の正しい過ごし方は、クーラーの効いた部屋でTSUTAYAで借りた映画を観るか、漫画とか本読むか、見たくもないテレビを惰性で見続けるかだと思ってるけど、今年の夏休みは初めのほうに予定が詰まっていてなかなかそれができなかった。やっと予定のない約一週間がやってきて、夏と正しく向き合うことができると思ったら、お腹を下し、熱を出した。熱は下がったものの、お腹の調子は戻らず、アイスが食べられないどころか温かいうどんを三分の一人前ほど食べただけでお腹がぐるぐる動き出す始末。くやしい。はやく治してアイスとかき氷とハンバーガーとドーナツときゅうり食べたい。

友達のおかあさん

  帰り道、すこし遠回りをしていつもと違う道を選んだ。川沿いの、散歩道として整備された場所だ。入ってすこし歩いた場所に段差があり、そこに座って大きな声で電話をして愚痴をこぼす女の人がいた。その女の人から3メートルほど離れた、けれど、ちょうど横を通るとき、あ、あんずのおかあさんだ、と気がついた。

  あんずというのは、わたしの小中学校時代の友達で、すぐ近所に住んでいたため、ほぼ毎日一緒に登校していた。けれど、中学にあがる頃からはほとんど惰性でその習慣を続けていて、つまりわざわざ連絡を取り合って遊ぶような友達ではなくなり、高校に入ってからは年に1、2度、偶然道端で会ったときにすこし話す程度の仲である。

  あんずのおかあさんは、いつもニコニコふわふわしていて、子供ながらに心配になるような人だった。小学校低学年の頃、あんずの家で飼いはじめた猫を見せてもらいに家へ遊びにいったことがある。そのときまで知らなかったのだが、わたしは猫アレルギーを持っていて、目が酷く腫れてしまった。それを見たあんずのおかあさんは慌て、オロオロし、泣きそうな顔をしながらわたしの母に電話をかけていた。(今思えば、預かった他人の子供に異常が起きればそうなるのは当たり前なのかもしれないけれど。)そんなあんずのおかあさんにも、家の中では吐き出せないことがあるのだ。そういえば、あんずの弟たちはすこしグレたんだっけな。すこし見ない間にあんずのおかあさんは歳をとっていた。

読者に関するもろもろ

本は増えていくばかりで捨てられない。もうババアだから…とかなんとか言ったって一応まだまだ人生の序盤なのに、部屋に本が多すぎてちょっとやんなっちゃうね。それでも今すぐには読めない本でも買って積ん読しておこう。読みたい本がいつでも見える場所にあるのは生きる希望だし。なぜか本にかけるお金を出費と考えずポンポン買っちゃって、しばしばピンチが訪れるけど。読書が一番すすむのは電車の中だから、あえて特急には乗らない。とか言いつつ、途中で寝ちゃって気がつけば目的地なことも少なくはない。小学生の頃、作文は好きだったけど読書感想文は嫌いだったな。今でも読んだ本の感想がうまく書けなくて、本当はなにも得られていないんじゃないかと不安になる。人の本棚を見たいと強く思うけど、自分のを見せるのは恥ずかしい。出会って2秒後みたいな人に好きな本を教えたくない。読んできた本も好きな本も、わたしの一部であり且つ全部ではないから。