花火大会
ずっと行けなかった花火大会 誘われたら行ってしまうね 夏はいつまでも陽が落ちなくて待ってるあいだに日焼けしてしまう 暑くてたまらないから浴衣なんて着れない 知らない女の子の着崩れを気にしてる いつの間にかお酒を飲めるようになってしまったわたしたち 花火があがる頃にはすこしもう酔っぱらっている あがっては消える花火 ねえあの火はどこへ行ってしまったの 煙だけが残って次にあがる花火を隠してる 終わったね綺麗だったね帰ろうか 人混みに揉まれてみんなで駅を目指す 家に帰って鏡を見るとアイラインが崩れてポロポロと目尻に付いていた
好きな女の子と嫌いな女の子が似ていた話
アイドルオーディションとしてはかなり異彩を放つミスiDというオーディションがあって、わたしはそれが大好きで毎年チェックしていて、毎年何人かはすごく好きになっちゃう、応援したくなっちゃう子がいる。そんななかでひとり、好きになったきっかけも好きである理由も全くよくわからないSちゃんという子がいたんだけど、この前Sちゃんがアップした自撮りを見て、小学生のときわたしに意地悪ばかりしてきたAちゃんにそっくりであることに気がついた。顔そのものも、表情の作り方も。Aちゃん、今どうしてるのだろうか。家を出ていなければかなり近所に住んでいるはずなのに、中学卒業以来見かけたこともない。わたしに対してだけじゃなく誰に対してもけっこう意地悪だったし、中学の頃は仲良くしていた子とうまくいかなくなったり、またなんとなく戻ったり、そういうの多かったみたいだ。まあよく知らないんだけど。
SちゃんがAちゃんに似てることに気がついても、わたしはSちゃんのことが好きなままだと思った。10年以上ずっとわたしのなかのどこかでかかりつづけていた小さな呪いのようなものを解くことができたと思った。Aちゃんには、わたしの知らない関わり合うことのない場所で静かに幸せになっていてほしい。
夜光虫の思い出
旅先で友達と海の近くを歩いていたら、おじさんに声をかけられた。「おねえちゃんたち、夜光虫見たことあるか」「いえ、ないです」「見したるわ」ボートが何艘もつなげられた岸辺へ連れてこられる。おじさんはボートに置かれたオールを取り、水面を打ち始めた。すると、水面が青白くぼおっと光り始めた。「すごいすごい」「ほら、やってみ」わたしたちにオールが渡される。水面を打つ。「きれいだね」「うん、きれい」「な、見にきてよかったやろ」「はい、ありがとうございます」わたしたちはおじさんが去ったあともしばらく青い光を見つめていた。
こんなによく憶えているのに、わたしはどうしてもこのことが、いつ、誰と、どこに、なにをしに行った旅行でのことだったか、どうがんばっても思い出せないのだ。
胃だか食道だかが悪い
医者に食べた後すぐに横になったら駄目ですよ、と言われたのに、つい横になってしまって胃が鈍く痛い。
身体に不調を認めたらすぐに病院に行くほうではあるくせに、あまり信用していないので、問診で判断せずにとっとと胃カメラ入れちゃって欲しかった。判断基準となる明確な要素が欲しいのだ。
夕方に飲む白濁した液状の薬は、グレープフルーツジュースのような甘味があってほんのりおいしいのに、ちょっと口の中に滞在させすぎると突然吐き気を誘発する。
この身体であと60年ほどやっていかねばならぬのかと思うと、大事にせねばと思うのだが。
口のまわり(つまりくちびる)
寺山修司少女詩集を読んでいたら
『ふしあわせという名の口紅』という詩があり
そのなかにあった
「口のまわり(つまりくちびる)」
という記述を読んでから
わたしの中で口の存在が揺らいでいる。
つまり口ってもしかして
「空間」のことであって
わたしたち自身の「部分」では
ないのだろうか。
今までずっと
自分の身体の一部を表す言葉として
口という言葉を使っていたけれど
間違っていたのかもしれない。
でも空間だとしても
わたしの中の空間だから
やっぱりわたしの一部なのだろうか。
でも口を開けたら?
自分と自分以外の境界線は
どこなのだろう。
夏がくる
春がきた、と思っていたら一気に暑くなった。家の中は空気がこもって暑くて窓を開けたくなるし、朝目がさめると布団を跳ねのけている。駅から大学まで歩くと軽く汗ばむことも。もう日焼け止めも必要だ。
3日前、家に帰ってきて玄関のドアを開けると、玄関で寝ていた犬が驚いて慌てて起きた。冬はずっとリビングの毛布の上でぬくぬくと寝ていたのに、ついに玄関で寝始めたのだ。うちの玄関は大理石でできている。ひんやりと気持ちいいのだろう、毎年夏のあいだなどはいつも玄関で靴にまみれながらも寝ているのだ。
夏がもう、すぐそこまでやってきている。